啓 15年の歩み

 昨年11月、啓は15歳になった。家族で誕生日を祝う時いつも生まれた時のことを思い出す。 啓は出生直後、鎖肛・心臓などのダウン症の合併症のため松戸市内の病院に救急車で搬送 された。今でも救急車が好きなのはこの時の原体験によるのかもしれない。 幸いにも心臓の心室・心房中隔欠損は針の先ほどであったため7ヶ月の検診時自然閉鎖が確認された。鎖肛は、肛門が閉じていて便が排出されないため出生直後人工肛門設置の手術を受けた。根治手術までの1年間はお腹に人工肛門があった。寝返り・ハイハイと動き始めてからは大変であった。腹帯状のおむつはすぐにずれてしまい、洋服の上まで染み出ることもしょっちゅうであった。何よりも人工肛門の周りの皮膚がただれ、本人もつらい思いをしケアーに苦労をした。根治手術の入院は2ヶ月にわたり、母親が付き添い入院をしたため、当時小学1年の長男、幼稚園年少の長女の世話と家事は留守番役の夫が担った。仕事に支障をきたしかねない厳しい状況であった。祖父母の協力、友人隣人の手助けにより何とかこの時期を乗りきった。手術後の経過は良好で、多少の年数はかかったが薬を使いながら少しずつ自力排便ができるようになった。合併症の治療以外は風邪をひく程度で丈夫な体に救われた。3歳の春、柏駅近くからあけぼの山に近い布施に転居した。この頃体調が安定してきたせいかひじょうに行動的になった。マンションの4階から戸建に移り、啓は玄関に鍵がかかっていても庭側から容易に外へ出られることに気づいた。ちょっと目を離すとすぐに姿が見えなくなり行方不明になった。いつも隣人を動員しての大捜索になった。ある時すぐ近くにある小学校のお兄ちゃんの教室へ、担任の先生に抱っこされた啓を発見。ある時は100円玉1枚を握り最寄りのバス停にいるところを知人が見かけ連絡をもらう。またある時柏警察に保護される。小雨降る中近くの総合グランド内を傘もささずにリュックを背負って歩いていた啓を、親からはぐれた迷子と思って親切な人が警察に通報したのだった。行方不明のたびに遠くで救急車のサイレンの音が聞こえると事故にあったのではないかと肝を冷やした。放浪も小学校入学を期に徐々に治まってきた。啓の絵に関して記憶に残っていることは、幼稚園入園後初の参観日のことだった。子ども達は3、4人のグループに分かれ、大きな紙に絵の具を使って思い思いの絵を描いていた。啓はというと自分の持ち分のスペースお構いなしにたっぷりの絵の具を筆につけ縦横無尽に描き始めた。いつのまにか周りの子ども達もつられて大胆に筆を走らせていった。完成したものは紙面いっぱいエネルギーあふれる真っ黒な作品となった。子ども達の満足そうな顔が忘れられない。小学校生活に慣れてきた頃、ピアノ・スイミングなど兄姉の習い事にも興味を示し一緒にやりたがった。その中で創作アトリエ(現造形アトリエ)の坂 幸子先生に出会った。絵画だけではなく木工や粘土などにも取り組んでいた。牧場に連れていって本物の馬を見せたり、枯れ葉を集めたたき火で焼きいもをするなどの屋外活動もあった。さまざまな体験を通し感性を培う指導に共感した。啓の内なるものが少しずつ引き出され、自分を表現できるすべをつかんだようだ。これからも生き生きとした日々を送ってほしい。
大島正毅・千代美